淺野屋佐平、又策平・策柄とも書す。諱を茂枝、茂身又は茂幹ともいひ、麻舍と號す。市人にして田中躬之に學び、最も和歌を能くす。常に勤王の義を唱へ、元治の變に罪を獲て獄中に死せり。年五十二。 述懷 世に合はぬ事をいはずて世の中をうしと思ふぞわびしかりける 市 かれをほり是を欲りしてさま〲に思ひやたつの市路なるらん 大友粂滿、通稱儀左衞門、蓬壼と號し、藩の御料理小頭なり。粂滿橘守部に從ひて和歌を學び、又書に巧にして、殊に大字に長ず。その門人頗る多く、名聲一時に高し。明治二年五月十五日歿す、享年五十三。その歌集を蓬壼集といふ。 正成朝臣 あめの下うばらからたちしげる世に雲井に高く匂ふたちばな 述懷 皇神の道ふみわけていでわれは事なき御世の楯とならなむ