田中猛之、通稱外衞、山村氏に出で、嘉永二年田中躬之の子養する所となる。躬之の歿後兵庫の名を襲ぎ、又菊園と號す。安政元年人持組今枝氏の爲に召されて侍醫となり、四年三月明倫堂國學内用に加り、次いで國學講師代理に進む。明治以後皇學訓導又は文學訓導となり、十年五月十五日歿す。その遺詠は躬之のものと共に、之を園の菊に收む。 旅宿時鳥 いへならばきゝつと人にほこりてもかたらんものを山時鳥 稀逢戀 片糸のたえぬしるしに玉の緒のたま〱逢もうれしかりけり 高畠米積、通稱鍋屋伊兵衞、有賀の屋と號す。藏宿を業とし、田中躬之に學びて高足たり。家に源氏物語の研究會を起し、又同志と共に歌筵を開く。明治二年以降多太神社・小坂神社等の祠官となり、三浦俵三と號す。十年六月二十日歿する時、七十五。 春風春水一時來 手取川雪消の水ぞまさりける白根もはるのかぜやふくらん 白山 むら山をおほひしゆきの上にこそふもとは見ゆれ越の白山