藤田維正、その傳は漢文の條に述べたり。晩年和學を兼修し、歌を京師の近藤芳樹に學び、高橋富兄と共に、日本文法問答並びに後録を著して學徒に授く。其の他、事類短歌・國文軌範・都のゆきゝ・蘿月窟咏草等あり。明治二十五年八月歿、年六十八。 歳旦 君が世を千世に八千世と祈るこそ歳のあしたの事はじめなれ 望白山作歌 神代より、國のしづめと、つくらしゝ、その白山は、大空に、たかくぬけいでゝ、あまのはら、ふみとゞろかし、なるかみも、ふもとのとよみ、天雲も、いゆきはばかり、そそりたつ、こしのしらやま、ときしくに、雪は降りけり、めづらしと、ふりさけみれば、あやしくも、雲霧おこり、その山の、すがたかくろひ、心あてに、仰ぎて見れば、奇しくも、しなとの風に、見えざりし、姿あらはれ、天の下、山はおほけど、白山は、山といふ山の、つかさとも、いふべき山ぞ、こしのしら山。