加藤里路、幼名喜久松、後に修理又は圖書と稱し、椎の屋と號す。天保十一年十月金澤に生まれ、弘化二年父の後を受けて千五百石を領す。里路歌道を狩谷鷹友に學び、又能く國書を講ず。維新の後金澤藩宣教掛・神祇官宣教使・白山比咩神社宮司・射水神社宮司・氣多神社宮司等となる。明治五年里路縣下諸社に於て説教を行ふ、これ本縣に於ける神道説教の初なり。晩年金澤に歸り、興道社を起して國學を講ず。四十四年二月歿す、享年七十二。著す所椎の葉二十餘卷あり。 書 身を國の柱とたてよ讀みとよむふみを心のいしずゑにして 花 櫻花さけばぞ春はうらゝなるうらゝなればぞかくは匂へる