前田利鬯、大聖寺藩最後の主なり。その歌道は慶慮元年上洛して、冷泉爲理の門に入れり。明治九年七月五日青山御所に召され、皇后・皇太后の御前に御題を給はりて詠進し、十一年一月十八日御歌會始に講師を命ぜられ、同年九月八日の御歌會には講頌となり、以後年々の御歌會始に披講・講頌・講師・奉行等となりしが、四十四年より眼疾を憂へて之を辭せり。その御歌所參候の職は明治二十五年十月より、大正九年七月薨去の時に及ぶ。 初春梅 春たてばやがて三つ四ついつしかとまたれし梅の花も嘆けり 三番嬰 うれしさのつゝみ餘れる袖ならし喜ありとふりいでゝまふ