千代は石川郡松任の人にして、元祿十六年生まる。父を福増屋六左衞門といひ、裝潢を業とせり。千代の幼年に就いては詳かならず。或は本吉なる北潟屋大睡の婢たりしと傳ふ。この間千代は漸く俳諧に親炙する所ありしが、その支考の門に入りたるは享保四年十七歳の時にあるものゝ如く、支考が金澤より美濃の大毫に送りし書簡には、冒頭に先づ珍事と記し、『金澤より三里南に松任と申所、表具屋の娘に千代と申して美婦生年十七歳、去年歳暮よりふと發句を始め、あたまからふしぎの名人、三越の間是沙汰にて御座候。先月通がけに寄申候處、頃日禮に人越候。附合一折懸御目候。此比發句入用事候間、稻妻・杜若と申題二つ遣候處、行春の尾や其まゝにかきつばた。稻妻の裾をぬらすや水の上。此二句にて外は御察可被成候。』といへり。されば千代の俳想は實に天稟に出で、必ずしも他山の石あるを要せざりしこと、支考が千代に與へたる書に、『かならずや人になをして御もらひあるまじく候。とゝなはぬ所あるを、をなごの本情とほめ申事にて候。』といへるにて知るべく、享保七年露川の北國曲に『池の雪鴨遊べとて明てあり』、同年白推の鵜坂の杖に『おしめども春はとまらで啼蛙』『それ〲に名乘て出る若葉かな』の句を見るに及びて初めて刊書にその名を出せり。而して宇中が傳千代女書をものして、『こゝに一本の松あり。やゝ廿とせの春秋を經て、千代の翠におひさきしるし。いまだ高砂の尾上に相生の名もあらずとかや。其聲高くひゞきて、芭蕉葉のやぶれ久しき不傳の妙昔をうたふ事、自然の天籟にかなへり。』と賞揚したるは享保十年二十三歳の時にして、是よりその作は各撰集の採録する所となり、風交大に開け、京に上り伊勢に遊びて乙由を訪ひたることもありけるなり。寶暦四年千代齡既に五十二に達し、乃ち髮を剃りて尼となり素園と號す。『髮をゆふ手の隙明けて炬燵かな』と吟じたるものこの時に在り。十年越中井波の瑞泉寺に祖師親鸞上人五百回忌法會に詣で、十一年上洛して東本願寺を拜す。かくて十三年闌更の書ける千代尼句集の跋に『帶も袂も裾にひとしく、又平が繪に藤の花もたせし比より、其名あまねくあめがしたに聞えければ、しらぬひのつくし人も、鳥が鳴あづま人も、此尼の風流をしらぬはなき世となりけらし。』といひ、明和七年越後高田の太中庵畝波の著したる皐月の雨に、『素園の句とさへいへば、考へずして甘心す。過しころ我句を尼の句にして、男には末つますべし紅畑、尼より消息の端に書付越したりと咄せば、人々手を打ちて感吟す。更に擬作といひがたくて其席を去りぬ。』といふに至れるもの、皆以て千代が當年如何に評價せられしかを察すべし。然るに千代は同八年の頃より老衰して病蓐に親しみ、安永三年には小康を得て蕪村の玉藻集に序文を與へたることもありしが、遂に翌四年九月八日七十三歳を以て歿したりき。その辭世の句に『月も見て我はこの世をかしくかな』といへり。墓碣はその所在を詳かにせず。文化元年山東京傳著の近世奇跡考に、松任驛村井屋小十郎の物語なりとて、千代が金澤專光寺に葬られたることを記するものは、福増屋が同寺の門徒たりしを以て、しか考へられたるにはあらざるかと思はる。松任聖興寺にある辭世の句碑は、二十五回忌に當り有志の建設したるものにして、傍にある小碑は、近年松任西三昧にありたる福増屋のものを移したるなり。千代の歿年に就いては從來七十四歳説もありといへども、几唻の寄合俳句帳の首に『越のとまりなる几唻の御ぬしは風流人也。けふや折からのいつくしき言の葉をあつめんと、かゝる老はふれたる身をも捨ずして、はしにものせよと聞給ふれば、なほしくれ(マゝ)と申もほゐならねば、そのまゝ筆を染まいらせぬるのみ。午のとしきぬきさらぎのけふ、七十二歳素園尼書。』とあるものあり。また之甫の還暦を祀して『しほの御ぬしはひつじのけふむそじのそとへふみ初させ給ふ。誠にめで度千秋萬歳とことぶきまゐらせて、よい耳でなゝその道の花にあそび、七十三尼素園』と書けるものあるが故に、安永四年未は七十三歳ならざるべからざるなり。 千代の句集は、その生前寶暦十四年(明和元)に、既白が千代尼句集を編し、闌更之に跋を加へたるを初とし、明和八年既白又後集を繼ぎてはいかい松の聲と題せり。後天保の頃には、柳之下菊朗といふもの、寶暦本の句と序とを顛倒して再刻し、題簽を千代尼句選と改め、又嘉永二年加賀の大夢が寶暦本を袖珍とし、闌更の跋を卷頭に置き、原本に載せたる消息などを除き、自家の跋を加へたる増補加賀千代尼發句集、安政六年集雅堂兒遊が嘉永本の遺漏を補ひ、新たに大夢の序を加へたる掌中千代尼發句集等あり。若し夫れ千代の追悼句集には、文化四年その三十三回忌に當り、金澤の眉山等によりて刊行せられたる無射集あり。集中尼の養子白烏が『あり〱と夢に昔の月の影』の句を薦めたるを見る。文政七年の五十回忌も、亦金澤の黄年等によりて營まれ、後無射集一名長月集この時に成れり。千代の門下二ッ木屋そよ、當年百歳にして、『二つあるものはかしましけふの月』の吟を捧ぐ。 千代尼筆蹟石川郡野々市町舘八平氏藏 千代尼筆蹟