雲蝶は俳僧なり、伊勢の産。寛延二年雲蝶『荻の戸や雁に渡して笠の風』と吟じて草庵を出で、越前より加賀に入り、桃妖を山中に訪ひ、千代に松任に會し、水無月十八日金城に入りて希因を見、津幡の見風と交る。次いで能登路を經、越中高岡に新年を迎へ、正月二十八日再び金城に遊び、三月十八日龍國寺に乙由の十三回忌を營み、越中に去れり。その紀行を百合野集といふ。序は寛延二年孟夏希因の書する所にして、跋は四年三月七尾の岩城代明によりて作らる。世に雲蝶を希因門下に列するも、希因の嗣後川の編したる系圖にはその名を見ず。後雲蝶三たび金澤に入り、法船寺十四世圓蓮社明譽の弟子となり、寶暦六年四月十一日寂す。『正月の寒さあたらし人の襟』『言はぬ夜や音あるものは皆寒し』等の句あり。