井出正水、初名は松翠、臥溪と號す。正水書を田内鐵舟に學びて後に一家を立つ。初め前田綱紀之を擢でゝ祿を與へんとす。正水辭して曰く、野人は鐵舟の門人にして、潤筆を以て能く一身を養ひ得べし。若し野人に賜ふの恩あらば、願はくは之を鐵舟に施せと。綱紀嘆じて曰く、今や世澆季にして風俗日に敦厚を缺く。然るに篤實正水の如きは、啻り書道に得るのみならず、亦師に仕ふるの義を失はざるものなりと。即ち二百石を鐵舟に與へて右筆たらしめ、別に二十口を正水に食ましめき。後正水の去りて洛南に住するに及び、侯又隱栖の資十口を賜ひき。享保元年十二月十九日歿、釋慈門正水と諡し、東山松原東慈芳院に葬らる。正水著す所草書淵海四卷あり、澤田宗堅之に序し、延寶中上梓して世に行ふ。石帖亦多し。