上記の外、大聖寺藩出身の能書家に朝川同齋あり。同齋は大聖寺の士横江丈左衞門成美の子。名は麎、字は士修、通稱善四郎、同齋は其の號とす。嘉遯・眠雲山房・小泉漁夫等の別號あり。年十五にして江都に遊び、市河米庵の門を叩き、請うて塾僕と爲り一意書を學びしに、數年にして諸體に通じ、筆力氣韻殆ど師に迫れり。既にして朝川善庵の贅壻となり、嘉永二年その家を嗣ぐに及びて書を以て儒を兼ね、松浦侯の江戸邸にある時は聘せられて爲に經を講ぜり。同齋羸弱にして喘息を患ふ。嘉永の末時事に感じ、疾を力め輿に乘じて堀織部正を訪ひ、北地開拓の事を建議す。是を以て疾彌篤く、安政四年十月二十二日歿す、享年七十四。小梅村常泉寺に葬る。門人諡して紹復先生といふ。著す所、古今文管窺・眠雲札記・紀効新書秘解・天正本孫子曹註輯補・征韓實記・暹羅戰記等あり。