祖衷、字は丹嶺、若狹の人なり。九歳の時清芳叟公に謁して驅鳥となる。十六歳遊方して諸名宿に歴參せしも皆契はず。後寶圓寺月嘯虎白の名を聞き、直に往きて門を叩く。虎白即ち付するに道要を以てす。次いで城州平尾山に在りし時始めて大徹し、歸りて所解を虎白に呈せしに、虎白之を可なりとせり。是に於いて濃の全久・參の龍溪諸寺を主りしに、加賀侯その道風を聞き、之を寶圓寺に屈請せり。祖衷こヽに住すること多年、已にして應接に倦み、丹波の小尾山に隱れ慈徳寺を創め、虎白を崇びて之が始祖となし、又法華寺を營みて移り、寶永七年七月八十七歳を以て示寂せり。 道白、字は卍山、備後の人なり。初め大乘寺月舟宗胡の禪風を聞きて來り遊び、永平寺に出世し、延寶八年大乘寺の請により晋山して大衆を統ぶ。一住十二年にして退き、攝津住吉の興福寺に閑棲し、次いで禪定寺に移り、又山城鷹峰に源光庵を營めり。靈元上皇その道譽を聞きて宮中に召し給ひしも、病と稱して出でず、正徳四年八月寂す、年八十。 滴水、字は曹源、石見の人なり。諸國を歴遊して、後に加賀の大乘寺に住し、大に宗風を發揚せり。享保二年四月五十七歳を以て寂す。 道顯、字は隱之、加賀金澤の人、藤岡氏。七歳始めて詩書の句讀を習ひ、八歳京師に入りて木下順庵に學び、十二歳周易を覆講す。明年郷に歸りて道心を發し、十九歳攝津禪定寺に月舟に從ひ、後諸宿徳に歴參し、元祿九年加賀の大乘に監寺となりて卍山に入室面受す。次いで下總東昌寺・武藏瑞光寺・美濃妙應寺に住し、享保十四年七月朔旦瑞光寺に寂す、世壽六十七。 道顯、字は密山、朽木子と號す。近江の人。寛文十一年加賀に來り、月舟宗胡に大乘寺に謁す。後病を抱きて紀伊・河内に遊び、元祿十二年二月大乘寺に住し、正徳元年河内の摩尼峰に退隱せり。元文元年十月八十五歳を以て寂す。