藩政以前にありては、加賀・能登二國中殆ど繪事の傳ふべきものあるを見ず。唯僅かに臨濟の僧恭應運良が、暦應の頃河北郡傳燈寺に住して丹青の技に長じたる、能登の守護畠山義統が、應仁・文明の頃に出でゝ菅公の圖を遺したる、加賀の守護富樫氏の族晴貞が超月と號し、好みて馬を描きたる等のことを傳ふるのみ。前田氏の統治以後に至り、工藝の進歩發達大に著しかりしといへども、專門の畫人を出したること少く、稀に名を爲したるものあるも、單に加賀に生まれたりといふに止り、その事業は皆之を上國に於いて遂行せるなり。長谷川等伯・俵屋宗達・岸駒等はこの種人材の巨擘とす。而して藩人の藩に在りて丹青を事とせしものは、初め多く儒士・僧侶輩の餘技に屬し、文化・文政に至りて僅かに佐々木泉景等の御繪師あるを見るのみ。