然りといへども、木米の春日山窯にて燒きたりといふ所傳の確實なるものは、後世甚だ多からず。明治中宮崎豐次が龜田家に藏する木米の作品に就いて、加藤松塢に報ぜしことあるが如き、亦實に之を珍としたるによる。 記 一、手(堤)籃入コンロ一個一、同青磁湯沸一個一、同急須南蠻寫一個 一、同煎茶碗[但赤は辰砂也]一個一、仁清寫一個以上五品 右は龜田に於いては隨分珍重居候由。仁清寫抹茶碗は、眞龍院(前田齋廣夫人)様御好にて拵上げ候殘り之品といふ。外四種は手籃入の一揃にて、何れも春日山にて製造する所のものに有之候段、先夜依頼に參り候折申聞候。 〔加賀陶磁考草〕 上記の内仁清茶碗は、高臺の外に『文化戊辰春正月於加陽新窯製』の文字ありて、箱書には、『眞龍院樣御使用の御茶椀木米へ被仰付、其節此分控に燒候を、同人より曾祖父純藏へ相贈候品と申傳候。』とあるものなり。凡そ木米が春日山にて作る所にして銘あるもの、金府・金符新製・金城・金城製・金陵邊・金城文化年製・加陽製・金城東山・春日山等とし、青華又は赤色顏料を以て書かる。