若杉窯には貞吉・平助等肥前系に屬したる工人ありしを以て、その白磁が伊萬里風に作られたること勿論なり。而して當時我が國の各窯は、皆既に精透明瑩なる良磁を得るに成功したるを以て、若杉窯も亦之と歩武を爭はんことを期したりといへども、原料の資質到底之を許さゞるものありしは頗る遺憾とすべし。即ち若杉燒にありては、磁性一般に堅緻なるも潤徹の氣に乏しく、燥涸の傾向あり。白釉亦未だ純白なるを得ずして赤味を帶び、間々白きものなきにあらざるも甚だ少し。その青華も肥前の影響を受け、古九谷燒及び春日山燒に比して鮮麗なり。又呉州赤繪は、初め春日山燒の影響を受けたるが、後勇次郎の來るに及び、圖案に於いても彩色に於いても共に純然たる伊萬里風となり、特に勇次郎の得意とする錦手にありては伊萬里燒と誤認せらるゝものありて、世人或は之を加賀伊萬里といへり。唯若杉燒の錦手は、之を伊萬里に比するときは磁質の劣れるのみならず、金彩を交ふること甚だ稀なるを以て異なりとす。若杉燒に使用せられたる赤色は、概して佳良ならず。その特徴あるものは、主として勇次郎の使用したる伊萬里風の赤色とし、不透明にして嵩を有し、光澤ありて不快の感を與ふるものすらなきにあらず。交趾釉も、亦勇次郎の頃にありては全然肥前風にして、その種類は緑・黄・青・紫とし、何れも薄く使用せられ、緑色釉は鮮明なれども淡く、黄色釉は他の窯のものに比して赤味を帶ぶることなく、青色釉及び紫色釉は黒味ありて濁れり。陶銘は之を有せざるを普通とし、時に二重角の中に若字の印を捺せるあり。若杉の銘を書せるあり。