清水氏の祖右甫は京都の人なり。前田利家の時呉服御用を勤め、紹務を經て九兵衞に及びしが、産を破りて江戸に出づ。九兵衞の子九兵衞乃ち蒔繪を學び遂に利常の命を奉じて調度を造ること多く、綱紀の寛文十年以降二十人扶持を受く。子源四郎に及び扶持を失ひ、家道一時衰へしが、第三代九兵衞是隨を經、第四代九兵衞の時安永六年以降復十人扶持を給せられたり。 是隨 九兵衞━━━━源四郎━━━━九兵衞━━━━九兵衞 椎原氏の祖を市太夫と稱し、江戸の人にして、技を清水源四郎に學べり。正保の頃前田綱紀の聘に應じて金澤に來り、俸若干を給せらる。市太夫茶道に通じたるを以て、その作品も亦温雅清逸の風あり。特に精緻の圖を印籠蒔繪に施すに長じ、一種優美の特徴ある加賀印籠中に在りても市太夫の製せし所最も勝れたりといはれ、香合の蒔繪も亦彼の作りし所頗る茶人の間に賞翫せられたり。市太夫に三子あり。長子藤藏家を襲ぎて市太夫と稱し、次子友之進も季子市之丞と共に良工と稱せられき。當時是等の工人は多く能樂の一部門を傍藝としたりしが、藤藏は小鼓、友之進は笛、市之丞は太鼓を能くせり。市太夫の門下俊才頗る多く、伊兵衞・小左衞門・理右衞門・與三兵衞・與兵衞・庄右衞門・忠兵衞・小兵衞・伊左衞門・清助・豐右衞門・七郎右衞門等、皆金澤の描金界に貢献せし所少からず、その一人小川甚左衞門は富山藩の御細工人となれり。又寛政・文化の交椎原龜之丞といふものあり。龜之丞畫を佐々木泉景に學ぶ。故にその筆意温雅にして、技巧の優秀なること、當時比肩するものなしと稱せらる。龜之丞の門弟に淺野藤右衞門ありて、亦令名ありき。 初藤藏 市太夫━━━┳市太夫 ┣友之進 ┗市之丞