米田氏はその初世を孫六といふ。描金の技を吉右衞門といふ者に學びて出藍の稱あり。天保・弘化の間、金澤の同業者中に嶄然として頭角を露せり。孫六の第二子家を繼ぎて、亦孫六と稱し、號を南溪といへり。家藝に巧なるを以て著れしが、廢藩の後東京に移住せり。 南溪 孫六━━━━孫六