清光の末裔藤江氏の所藏する前田利長自筆の文書に據れば、當時清光の一派を指していづみかぢといへり。思ふに清光の初世が石川郡泉村の地に住したるが故にこの名ありしものにして、その富山に移壇せるものを『と山のいづみかぢ』とすら呼べるを見る。 一、いづみかぢ廿こし大小 一、かねまき廿こし大小 此ぶん出來候。はやく出來申候。しぜんとぎ候てみぐるしきぢやれなど候はゞ、うちかへ申候やうに、内々申きかせ可申候かしく。 十二月八日ひ(肥前守利長) 市川(市川長左衞門) ミやへ(宮井太郎右衞門) 〔藤江氏文書〕 ○ と山のいづみかぢこし候て、ながへの身二本くれ候。よく心へ候て可申候かしく。 四月廿五日ひ 九兵衞 相兵衞 〔藤江氏文書〕