木下氏の中著名なるは兼重・兼豐の兄弟なり。兄兼重は通稱を甚之丞といひ、安政六年伊勢大掾を受領して斯界の先輩と仰がれ藤江清次郎清光と共に藩末に於ける當國鍛壇の重鎭たり。然れどもその作品は清光よりも劣り、板目とも柾目とも區別し難き無地肌に、妖耀厭ふべき光澤を有し、刄文も見るからに下品なる亂刄多く、實用上大に戒心を要するもの少からず。但し稀に匂出來の直刄物、又は柾鍛の姿上品なる大和傳の賞美すべきものあり。之を要するに彼は寛文・延寶頃の大坂又は江戸の産を目標としたるも、技倆及ばずして理想を貫徹し得ざりしものなるべく、銘は加州住藤原兼重又は加州住伊勢大掾藤原兼重と切ること多し。 兼重の弟兼豐は通稱を甚吾といひ、兄の家を繼ぎ、慶應二年伊勢大掾相續を許されたるものにして、その作品は兼重と共通す。兼豐は明治四十年に歿す。