松永光保は通稱を四郎兵衞といふ。成井次郎兵衞に就きて學び、師家と共に藩の御細工者となる。子光近・光廣・光正繼ぎ、光正は安永の頃の人なり。光正の子を光茂といふ、文政十一年の御細工者帳に四十俵春田細工松永庄藏歳三十六とあるもの即ち是なるべし。 四郎兵衞四郎兵衞四郎兵衞、勝助勝助、庄兵衞 光保━━━━━光近━━━━光廣━━━━━━━光正━━━━━━━━光茂 〔甲冑良工諸家系圖〕