埋忠氏、諱は信房、清之丞と稱す。桑村弘良の門人なり。その製作優美にして古色あり。信房の弟丈助宗房も亦巧手と稱せられき。 水野好榮は源次と稱す。大坂の人なり。後藤顯乘に學び、慶長中前田利長の時金澤に來り、白銀師として五人扶持を給せられ、慶安二年歿す。その系左の如し。 源次二代三代四代五代六代 好榮━┳━━源次━━━━源次━━━━源次━━━━源次━━┳━源次 ┃┃ ┃┃ ┃┃七代 ┃┗━源次━━┓ ┃┃ ┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃源次源次源次源次 ┃┗━元房━━━━━克弘━━━━━克正━━━━━克則 ┃ ┃ ┃源六源六源六源六源六 ┗━━━好房━━━━━照喜━━━━━多光━━━━━光政━━━━━光益━━┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃源六源六源六 ┗━━━光則━━━━━光和━━━━━光春 〔金工系圖〕 水野氏二代源次は好榮の子、前田光高の時正保元年三人扶持を賜ひ、父の歿したる後は白銀職裁許を命ぜられ、寛文七年歿す。次いで三代源次は元祿六年歿し、四代源次は享保四年歿し、五世源次は寶暦元年歿し、六代源次は寶暦三年歿す。六代源次子なく、その弟を養ひて七代源次とせしが、安永七年を以て祀を絶せり。是に於いて元房入りて統を襲ぐ。元房は鞘師九藏の次子なり。初め源六光政に就きて技を習ひ、後京師に往きて後藤東乘の門に入り、安永九年金澤に歸りて水野氏を繼ぎ、御門前町に住し、天明七年白銀職となり、文化十二年二人扶持を給せられ、文政七年擢でられて御細工者となり、七人扶持を受けしが、同十二年に至り祿三十五俵を賜ひ、天保三年を以て歿す。その刀法極めて優美にして、水野氏中興の祖と稱せらる。元房の子源次克弘家を繼ぎて、亦御細工者となる。克弘晩年祿を増して四十五俵を食み、嘉永五年歿す。二子あり、長は早世せしを以て、次子源次克正祿を受け、元治元年更に加増せられて五十五俵を受けしが、此の年を以て歿したりき。子源次克則嗣ぎしも、幾くならずして廢藩に際しその業を廢せり。