勝木氏は象眼師なり。初世氏家は權太夫と稱し、後藤顯乘の門に學び、寛永中伏見より下りて金澤に住し、祿五十俵を賜ふ。その系左の如し。 權太夫權太夫市兵衞市兵衞 氏家━━━━━━━氏重━━━━━氏政━━━━━氏政━━━━━━┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃市兵衞甚藏武右衞門甚左衞門 ┣━氏政━━━━━氏政━━━━━氏政━━━━━氏重 ┃金子氏 ┃ ┃市郎左衞門市郎右衞門市之丞市兵衞 ┣━氏屋━━━━━氏喜━━━━━氏直━━━━━氏吉 ┃ ┃ ┃武兵衞 ┗━氏長 〔金工系圖〕 勝木氏二世氏重は權太夫と稱す。初代氏家の子にして、寛永六年藩より二十五人扶持を給せられ、象眼師となる。寛永十七年命によりて小松に移り、萬治元年歿す。三代市兵衞氏政は二代氏重の子にして元祿八年に歿し、四代市兵衞氏政は三代氏政の子にして享保五年歿す。三子あり、長子を市兵衞氏政とし、次子を市郎左衞門氏屋とし、三子を武兵衞氏長とす。氏政は勝木氏第五代を襲ぎ、享保十五年藩の御細工者となりて祿四十俵を賜ひしが、この時氏を金子と改め、明和六年を以て歿せり。六代氏政は甚藏と稱し、明和七年家を襲ぎ、七代武右衞門氏政、八代甚左衞門氏重相承けて安政の頃に至る。 勝木氏初代氏家の門人に氏永あり。又勝木氏を稱し、子孫世々象眼師たりき。その系左の如し。 喜兵衞喜兵衞六郎覺兵衞覺之丞 氏永━━━━━━━氏長━━━━━氏次━━━━━氏清━━━━━氏賢━━━┳━ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃三郎權之丞八郎兵衞圓七 ┣━氏宗━━━━━氏吉━━━━━氏平━━━━━氏次 ┃金子氏後白銀師 ┃ ┃吉郎兵衞吉郎兵衞吉郎兵衞權吉權吉門吉郎兵衞 ┗━氏安━━━━━氏安━━━━━氏安━━━┳━氏安━━━━━氏安━━━━━氏照 ┃後白銀師人 ┃ ┃後若林氏、富山侯 ┣━氏春 ┃に仕ふ、白銀師 ┃ ┃吉郎兵衞 ┗━氏廣 白銀師 〔金工系圖〕