國村氏の初世を次郎作國永といふ。本姓は種村氏なるも、父の名によりて國村を氏とせり。金澤の象眼師にして、彫法を後藤琢乘に學び、寛永中祿五十俵を給せらる。世にその作を次郎作彫といひ、加賀彫の祖なりと稱す。その門人與三左衞門國安・三右衞門國平・助左衞門國政・八左衞門國長・權右衞門國忠・喜兵衞國光等は、皆師の名によりて國永を氏とせり。 次郎作十左衞門十左衞門與右衞門與右衞門與平次彌左衞門 國永━━┳━━國久━━━━國久━━━━國廣━━━━國久━━━━國定━━━━國和 ┃村澤氏 ┃門與三左衞門 ┗━國安 人國永氏 〔金工系圖〕 國永より五世與右衞門國久は氏を村澤と改め、御細工者となる。七代國和は初め銀次郎といひ、後に彌左衞門と改む。御細工者に列せられ、祿四十俵を賜ひ、以て維新の頃に至れり。