當時能登の中鹿島半郡は前田氏の與力たる長九郎左衞門連龍の領有する所なりしが、また同じく檢地の行はれしこと之を現存能登部上村の水帳によりて確認すべし。この水帳には、天正二十年十月朔兩如庵御判と記したる所ありて、如庵は即ち連龍なり。その檢地の法、三十歩を一畝、十畝を一段となし、上田の斗代を一段につき二石、中田を一石五斗、下田を一石、下々田を七升とし、畠は田の二つ折にして、上畠を一石、中畠を七斗五升、下畠を五斗とし、而して屋敷は之を中田に同率とせり。 能登部上村水帳(前後略) 愛染院分田方 三段一畝五歩[下宮田]三石一斗一升六合七勺與一右衞門作 六畝九歩[下江またき]六斗三升彦二郎作 二段三畝十二歩[中しんとうてん]三石五斗一升道場作[與一右] 一段二畝二十七歩[上むしまい]二石五斗八升彦五郎作 一段四畝[下々きやう田]九斗八升左右衞門作 八畝[下塚田]八斗左近作 六畝[上同]一石二斗同 六畝十五歩[上櫻町]一石三斗彦二郎 畠方 一段二畝[上かくち]一石二斗左近二郎 七畝十五歩[中同]五斗六升二合五勺同 四畝[上同]四斗左右衞門太郎 一反二十四歩[下]五斗四升寺やしき 四畝[中堂川原しきゐやしき]三斗與一右衞門作 十二歩六升左右衞門太郎 十二歩六升左近二郎 田數以上一町八畝八歩 上二反五畝十二歩 中二反三畝十二歩 下四反五畝十四歩 下々一反四畝 分米十四石一斗一升六合七勺 畑數以上三段八畝九歩 分米三石二合五勺 屋敷二十四歩 分米一斗二升 都合一町二段八畝六歩田畠屋敷共ニ 畠二折ニシテ 此分米十七石二斗三升九合二勺 〔鹿島郡能登部村文書〕