改作法の申渡終りたる後、改作奉行は諸郡首座の御扶持人十村を改作所に召喚し、鍬初の書面を下附す。この事寛文四年に初り、その文また時によりて同じからずといへども、天保十年以後に在りては左記の如くなりき。 一、當年早速爲致鍬初、耕作由斷仕聞敷事。 一、村々百姓中應持高人馬所持仕、當年作用意手支有之間敷候。例年之通其組裁許御扶持人等可令吟味事。 一、改作方稼等致麁抹、申立も無之作用意手支申者有之候はゞ、急度可被仰付候條可申聞事。 一、常々致村廻御法度之條々申聞、改作稼に油斷不仕樣に申付、成立候樣可仕事。 一、物事手代任にいたし、自然不儀(埒脱カ)有之候はゞ、主人可爲越度事。 一、一季居之奉公人、又は町方・宿方に在之高所持もの、親類等にたより無謂引込、百姓之勝手を費し不申樣可申付候。應持高里子不足、改作手支引込候ば、御扶持人等聞屆可申付候。 一、不應百姓買物仕、ゑよふ(榮耀)の同名付合仕、耕作を不沙汰にいたし、手前衰候もの有之候はゞ可爲曲事候事。 一、最前頭書にて申渡候通、村肝煎小百姓算用之儀は年切に爲致濟状文(證)、組裁許方え取置、以後出入無之樣可仕事。 一、右之通組々え爲申聞令吟味、當作縮書付二月廿日以前裁許より可出之者也。 年號正月十七日改作奉行連名印 御扶持人 中 十村 〔河合録〕 文中、最前頭書にて申渡候通とある語は、寛文十一年以後の鍬初書立に必ず記されたるものにして、そは寛文八年の命令に、村肝煎に對して小百姓が諸計算に關する孚議を釀すことは、清算を爲すことなくして年を重ね、その間互に事實を忘却するに因るが故に、自今その年限り計算を終了し、翌年正月十五日までに帳簿を十村に提出すべしと規定したるをいふなり。