十村の配下に屬するものに新田裁許あり。明暦・萬治・寛文の頃、領内に新田開發・一村建等盛に行はれたりしかば、是等諸村を裁許する者を新田十村といひたりしが、後元祿三年鹿島郡黒崎村の安兵衞に此の職を命ぜしとき、初めて新田裁許と稱したりき。新田裁許の任免は改作所の銓衡によるものにして、新開所を管し又屢巡廻して開發すべき土地を發見する等の事を掌り、季夏の候に至れば免相を見圖り、當年の圖免(ツモリメン)帳を携へて改作所に出頭す。新開所にして組高帳に登録せらるゝに至るときは、新田裁許の管轄を離れて十村の裁許に屬す。新田裁許の兼役とするものに蔭聞役あり。蔭聞役は郡中百姓の横目にして、諸事その見聞する所を十村に内報す。新田裁許たる者老年に達する時は新田裁許列となる。