分地人は田地割のみに使役せらるゝものなり。田地割は初め繩張人之に當りたるが、天保九年諸郡久しく田地割替を爲さゞりしを以て速かに之を行ふべしと命ぜられしかば、繩張人は大に缺乏するに至り、稍その技術を學び得たるものを採りて分地入と稱したるに起るといふ。分地人たるべき者は、御扶持人十村より申請し、改作所にて認可せらる。檢地には、假令内檢地たりとも分地人を繩張に使用するを得ず。 竿取人は、内檢地を行ふ時繩張人に屬して間竿を取るものをいひ、田地割の時にも亦竿取の任に當る。竿取人の選定は、百姓中に就きて御扶持人十村之を爲し、改作所の認可を受く。 走りとは使丁の義にして、名高持若しくは頭振中より一村一二名を選びて之に當て、肝煎より公用を下達し、又は他村に用務あるとき使役す。走りは村方のみにて選任するものとし、別に認可を求むるを要せず。郡によりては走りをあるき又はばんどうと呼ぶ所あり。走りの給米は又走り恩ともいひ、村方に於いて高及び免に比例し余荷を以て徴牧支給す。 以上農吏に關して略述し終れり。次に農民の階級・種類に就きて記する所あるべし。 鹿島郡鹿島路村人別帳鹿島郡能登部村戸部達雄氏藏 鹿島郡鹿島路村人別帳 百姓とは、農民の中田地即ち高を有するものゝ總稱なり。而してその高の寡少なるものを小百姓といひ、多大なるものを長百姓といふ。長百姓は、夙く慶長九年五月廿六日の法令に見えておとな百姓と記せり。 農民の中高を有せず、請作又は稼を以て渡世するものあり、之を頭振(アタマフリ)と稱す。頭振も亦廣義の百姓なれども、この意味に於いて百姓と區別せらる。一時頭振を遊民といふことありしが、元祿三年七月又舊に復せり。水飮といふも亦通常頭振に同じといへども、能登の一部に在りては兩者階級を異にし、水飮が頭振の上に位置する小百姓たる所あり。