掛作百姓とは、百姓の居住地にあらざる村に高を有するものあるとき、その高の存する村方より指して稱するものなり。例へば甲村の百姓乙村にて取高する場合に、乙村にて之を甲村よりの掛作某と呼ぶが如し。掛作は又懸作の文字を用ふ。 入百姓は、從來頭振たりしものゝ初めて高を得、或は他村より轉住し來りて高を得たるものをいふ。 寺社百姓とは、その實百姓にあらずして、寺院若しくは社家の高を有するものをいふ。この場合にありては、假に某寺事何兵衞といふが如き百姓名を唱へしめ、その高方に關しては百姓としての取扱を受く。 町人百姓とは、町方に居住して高を有するものにして、何町何屋某事何兵衞といふが如き百姓名を假稱し、その百姓名に關して百姓の取扱を受くること寺社百姓に同じ。 親作とは、百姓多額の高を有するとき、悉く之を手作にすること能はざるが故に、その一部を卸作たらしむることあり。然る時は請作するものより指して、之を親作と稱す。 子作は親作に對する名稱にして、小百姓又は頭振にして多額の高を有する者より請作するものをいふ。俗に小作の文字を用ふ。 下(シタ)百姓とは、一戸を構へたる表面上の百姓にあらずして、家族中の二三男若しくはその家に使役せらるゝものゝ爲に、私に高を分配して耕作せしむるものをいふ。この慣習は往時より存したるものにして、元祿の時にも亦之を許したるが、元文中一たび停止し、享和に至りて嚴禁せり。若し露顯するときはその高を沒收し且つ所罰せらる。