假高とは、假に草高を設定したるものをいふ。例へば、五十石免六ッの地を、免四ッとして寺社領に寄進したるとき、その殘餘を五十石免二ッの地あるが如く計算するもの即ち是なり。又百石免三ッの地ありて給人の知行所たる時、百姓より手上免として免一ッを増額上納せんと出願することあれば、その地の上(アガ)り知となるまで、百石免一ッの地あるが如く記帳するをいふなり。上り知とは、從來給人知たりしものゝ藩侯直轄地となることをいふ。 見捨高は、一に退轉高ともいひ、新開にのみ存する名稱なり。例へば海岸の新開地にして崩壞したるが爲に海底となり、到底回復の見込を有せざる時、その新開株を削除するが如きは是なり。古田は假令その地の存在せざるに至るも、決して見捨高とすることなし。 無地高とは、草高のみ存して實際の地所なきものをいふ。換言すれば、田畑の面積に應じ、上中下の石盛を乘じ之を合算したるとき、水帳に記載せられたる村高に達せざれば、その不足高は即ち無地なり。此の如きは檢地に際して測量を誤り、或は山崩・川缺等あるも見捨高とせざりしによる。 一村の高は、悉く百姓によりて分割作配せらる。之を持高と稱し、その面積各差あり。持高に對して免相に當る額は藩又は給人の收納米とし、その餘は各自の作徳米なり。作徳は作得の意にして、その中更に夫銀・打銀・村萬雜を支出し、殘額を手取作徳と稱す。百姓は持高を第一の資産とするが故に、頭振は高持たらんとして努力し、小高持は高を増さんが爲に勵精す。 他人の賣却する高を購ひて己の持高とするを取高といひ、一に持添高又は取添高と稱することあれども、頭振たる者の初めて高を得たる場合に在りては單に取高とのみ稱す。之に反して、自己の持高たりしものを分割して他人に賣却するを切高と稱す。元和元年以降決して切高することを許さゞりしが、元祿六年よりその禁を解けり。但し切高を行ひ得る場合は、上納米の不足により、家財を賣拂ふも尚之を補塡する能はざる時に限らるゝを舊格とせり。而して穢多・藤内等は決して取高するを得ず。又他國他領の者に對しても切高を許さるゝことなし。 高札 一、御分國中在々所々、田畠賣買仕者有之付而は、惣年貢米、本村物成之並を以買主かたより可致納所。但於作分者互に可爲申定趣事。 一、田畠買取之砌、地主へ相渡候あたひ、金銀米錢によらず、當作之内を以本分可引取事。 一、自今以後御公領分・給人知によらず、田畠賣買堅御停止之事。(下略) 元和元年十二月二日横山山城守 奧村河内守 本多安房守 〔袖裏雜記〕 ○ 一、田畠賣買仕候儀彌御停止候。若給人並下代等之證文を取、代米を渡申候共、相背御法度候條、毎年貢米之儀は作人より可被申付候。田地買取候代物之儀は、買主可爲損事。(下略) 寛永十四年三月十六日横山山城守 本多安房守 〔袖裏雜記〕