能登の奧郡に限り、百姓の高と人名とを頭振に交換することを許さる、之を高面振替といふ。例へば百姓甲が高一石を所有する時、之を頭振乙に讓り、乙は百姓甲と改名すると同時にその高を得、甲は頭振乙となるなり。 分高とは、持高の一部分を二三男又は弟に配分するをいふ。元文三年よりは、配分したる殘高の五十石以上なる場合に於いてのみ、分高を許さるゝことゝなれり。但し能登の奧郡は、元來高の少額なるが故に、殘高五十石に達せずといへども尚分高を許されたり。 懸作の高を、懸作人が切高したる時、本村の百姓購入することあり。この場合に於いては本村に回復したるに同じきを以て、普通の取高と區別して買返高といへり。 宿立(シユク)の地にして、財政困難なるが爲、宿方の萬雜(マンゾウ)を維持し得ざることあり。然る時は之を補塡する目的を以て取高をなし、之によりて得る所の用米を萬雜に當つ。宿仕法高といふもの即ち之なり。 懸作の遠距離に存するときは、作配に困難を感ずるが故に之を切高として、代ふるに近村又は居村に於いて取高することあり。之を持替高といふ。 百姓が次第に切高したる爲、その殘額殆ど盡くるに至ることあるも、尚二升高を剩して百姓たることを失はざるを古格とし、之を名高持又は二升高持と稱す。 切高を買收したる代銀を高禮米代銀と稱す。元來田地は悉く藩侯の有にして、百姓は單に耕作の爲之を管理するに過ぎざるを以て、賣買といはずして切高・取高といひ、租米を上納する能はざる場合には之を他人に讓渡して禮米を得、以て納租の義務を全からしむるを本旨とす。故に高を賣却したる代慣を稱して禮米代銀とはいふなり。