畑直新開とは、現に畑地たるものを開墾して田地とするをいひ、居村の者たると他村の者たるとに論なく之を出願するものある時は、地元の百姓・御扶持人十村・組裁許の十村・新田裁許等立會ひ、灌漑排水等に關する調査を爲し、然る後之を許可せらる。この際若し地元に於いて、之を畑地として存置するの利益を説くものあるも、決して採用せらるゝことなし。これ米穀の産額を増大するは藩益の第一なりとせられたればなり。畑直新開の許可せられたる時は、先づ他郡の御扶持人十村二人を折役として、その畑の折を定めしめ、然る後出願者をして開發に從事せしむ。開發の終了したる時は、畑地たりし時の收入に相當する田を、前の高主に返還せしむ。之を返歩と稱す。例へば加賀・能登にては田二百歩を以て高一石とするが故に、六百歩の地は田として三石高なれども、三ッ折の畑なれば一石高に相當す。故に開發の後田一石高二百歩を返還し、殘餘二石高四百歩は畑直しを行ひたる者の所有とするが如し。畑直しによる新開は、その年よりその村の定免を以て納租せしむ。 凡そ荒蕪地を開拓して田畑とすることは、之を出願して許可を經たる後に着手せざるべからず。然るに村方にて、此の手續を爲すことなくして田畑と爲したるものありたる時は、之を隱開と稱す。隱開の露顯したるものは、その歩數を計り、畑には折を定め、地味の厚薄に關せず、その村免による手上高と爲さしめ、時に村役人に至るまで處罰せらるゝことあり。但し、畦畔等を自然に切り廣げたるものは隱開にあらず。 新開の年度を異にするも、その所在相連續するのみならず、地味亦相等しきもの二ヶ所以上あるとき、その高を合併して一筆とするを株寄といひ、又元來一筆の新開なるも、散地にして相隔離し地味の等しからざるとき、之を分離するを株分と稱す。こは百姓・新田裁許・組裁許十村・御扶持人十村の連名によりて出願し、改作奉行の許可を得るに止り、改作奉行は之を算用場に報告するものにして、一村建の如く算用場奉行の指揮を要せず。