前田利常の改作法施行當時に於ける歩苅方法は前記の如しといへども、その後上中下田各三歩を苅り、定免と收納との割合を五公五民としたるが如く、享保十年八月には改作奉行より三歩苅の頗る手數を要するを以て、一歩苅によりて定むべしと令し、收納と定免とは亦五ッ宛とせり。天保九年改作方の申渡に、明暦中石坂出村に行へる法は利常が定免を定むる時に用ひたるものなるが故に、新開見圖り・一村建等の場合には之に從ひ四公六民とすべしといへども、難作により免切を行ふ爲に歩苅を爲すときは享保の制に據るべしといへるもの、以てその沿革を明らかにすべし。享保の算法は即ち次の如く、口米は定納一石に付き一斗一升二合、米價は一石銀三十目にして定納一石の夫銀一匁四分に付き米四升六合六勺六才の割合を以て算出せり。 覺 一、二升四合 上中下三歩籾、米にして一升二合 是を三ッ割一歩の當り。 四合 右を加州・能州三百歩一反に懸。 一石二斗 内一斗一升六合、口米。四升八合三勺二才、夫銀代。〆一斗六升四合三勺二才 殘一石三升五合六勺八才。是を斗代十五に割。 六ッ九歩四毛 内三ッ四歩五厘二毛、御收納 三ッ四分五厘二毛、作徳 〔留書〕