新米を收穫するも、百姓は租米の上納を皆濟せざるに先だちて之を賣拂ふを得ず。但し夫銀の如き高に懸りて課せらるゝもの及び屎代銀の支拂を要する時は、組裁許の十村より指紙(サシガミ)を受け、之を添へて賣却するを許さる。故に指紙を添付せざる新米は、何人といへども之を買入るゝを得ず。藩は毎年七月に入るときは、第平村以下分役に至る村吏に新米改役を命じ、皆濟に至るまでの間各郡主要道路の端なる民家に番所を設けしめ、以て百姓をして新米の密賣買を行ふことを得ざらしむ。 藩の收納にして御藏入にすべきと、給人知にして町藏入にすべきとに論なく、一村惣納租の米額を數回に分かち、一定の日限に一定の量を納入するを歩入といふ。その割合は八月十五日までに二厘五毛、同月晦日までに二厘五毛、九月十五日までに三厘五毛、同月晦日までに三厘五毛、十月十五日までに二歩、同月晦日までに二歩、十一月十五日までに一歩五厘、同月晦日に一歩五厘、十二月二十日までに一歩八厘を納租して皆濟とするなり。若し晩熟にして八月十五日に尚收穫を得ざるときは、之を同月晦日の分と共に納租するを許さる。村肝煎は一村一ヶ月に納租したる米額を確實に調査し、半紙の帳册に記入して組裁許の十村に提出し、十村は一組分を一册として改作所に提出す。之を半紙帳と名づく。 御藏入たると給人知たるとに拘らず、一村の租納米を上納し終り、代官又は給人より皆濟状を得たる時は、組裁許の十村に之を提出し、十村が一組のものを盡く見屆けたる時には飛脚を發して改作所に注進せしむ。この注進は、諸郡各組のもの皆十二月二十日までに終るを例とす。皆濟注進の中第一に改作所に達したるを御領國一番皆濟と稱し、一郡中にて最も早きを御郡一番皆濟と稱す。前者の十村には銀五枚・紬二端を賞賜し、改作所及び十村詰所に某裁許某組の御領國一番皆濟たりしことを掲示せられ、後者の十村には銀三枚・紬二端を賞賜せらる。皆濟定日は、初め前記の如く十二月二十日を以て限としたりといへども、天保中よりは歩入御定の例に拘らず專ら早きを尊ぶに至りしかば、十月中既に皆濟の組を見るに至り、之に對して米三十石を與へ、該組に屬する各村をして分配せしむることも初れり。若し百姓にして正當の理由なく、租米の額に達する收穫を得ざるときは、家財を賣却し又は家族の男女を奉公せしめ、その得たる代銀又は給銀を以て辨償すべく、尚必要の額に達せざるときは持高の一部を切高とし、その禮米によりて年貢を皆濟するを古格とす。請作人にして收穫の不足したるときは、賣物代銀を以て租米を補ふ額を引去り、その殘餘を御貸付屎物代及び小作年貢米等に配當す。