夫食御貸米は、出作(デサク)仕入の爲に貸附せらるゝものなるが故に、その實作食米に同じ。然れども作食は、寛文中定められたる石高によりて、各村の借り受け得べき量一定し、年の豐凶に關せず、資産の貧富に論なく、草高に比例して割當するものなると共にその取立頗る嚴重なりしを以て、小高持の百姓に裨益する所甚だ多からざりき。是を以て春御貸米・増作食米・耕作御仕入米・去暮皆濟御賞美米・麥出來迄取扱米等別種の名稱を以て貸付を爲すことゝしたりしが、是等はその名義の異なるに拘らず、皆後の夫食貸米に相當するものとす。而して夫食の名の見るゝに至りたるは享保二十年五月に在りといへども、その後尚前記名目の混用せられしことあり。次いで天明元年作食米を廢するに及び、藩は前年の豐凶によりて春季に百姓の夫食御貸米を出願することを許したりしが、その量は作柄により又は郡によりて多少の差あり。或は山方のみ食糧維持の爲に之を出願するもありき。夫食米は、資産を有する百姓を除き、その他を三等又は四等に別ち、高割又は人割の比例によりて貸附したりしが、これ將た民聞の實状に適せざるものあり。即ち小高持若くは頭振にして多くの請作を爲し、前年不作の影響を受くること甚だ大なりし者も、決してその損害に相當する夫食米を借り受くるを得ざるの憾ありしかば、天保十年より出作高百石に對して夫食米概ね二石とし、資産ある者を除き、貧困の程度に隨ひて多額を貸附することゝせり。夫食の返上方法は時によりて同じからざりしも、藩末に至りては跡々御貸米中に編入せり。 凶作の翌年夫食御貸米を給せらるゝも尚食料の不足を感じ、百姓以外の者も一般に困窮する場合に在りては、米銀・雜穀又は粥を施與せらる。之を御救米又は御救銀といふ。御救米銀を給すべきや否やは郡奉行・改作奉行の調査による。山方等の稼業少く、深雪の爲坐食せざるベからざる如き地方に在りては、不作ならずとも尚御救米銀を給して保護せられしものあり。