屎物とは、干鰯その他凡べての肥料をいふ。屎物は耕作上最も必要のものなるが故に、寛文元年二月領國中に産する干鰯の他領搬出を禁ぜしことあり。然るに寛政九年に至り、干鰯の生産に餘剩ありしを以てその禁を緩くし、之が輸出を爲すものは三歩半の口錢を上納すべしとの命あり。次いで享和二年五月、舊制を以て策の得たるものなりとし、啻に干鰯に限らず如何なる屎物たりとも輸出を許さゞることゝせしが、天保十四年諸浦皆干鰯を産すること特に多く、若し藩外販賣を許されざるときは、漁民をして頗る困難せしむる事情ありしを以て、改作奉行は出願者に對し時宜を計りて許可することゝせり。而もこの制一年にして止み、翌弘化元年には全然之を禁止したりき。既にして弘化四年春又鰯の大漁あり、漁民は頻にその解禁を請ひしも許可せられざりしが、益捕獲の量を増加したりしを以て、遂に植付季節の終るを待ちて之に從へり。之より後屎物輸出の願書は、改作奉行の認可を經たるものを郡奉行に廻附し、郡奉行は御算用場に稟申して許可することゝなる。又百姓が屎物を購入する資金として、古より銀百貫目を役銀所に保管するものあり。毎年三月諸郡に之を貸附し、十一月中に返上せしむ。その定例による貸渡高は、能美郡九貫二百目、石川郡十四貫二百目、河北郡六貫七百目、能登口郡十三貫二百目、同奧郡六貫七百目、礪波郡十九貫目、射水郡十三貫目、新川郡十八貫目とし、各郡一通宛の證文を以て借用を請ひ、後郡内各組に分配せり。