用水に關する費用は、往時領内一統の高打銀となしたりしが、郡によりてその費用に多少の差あるを以て、元祿八年一郡限りに徴收し、之を該郡用水の爲に支出することゝせり。葢し此の如くなるときは、郡内の十村・百姓等皆自家の普請なるが如く感じ、その費用を節約するの利あるべしとせられたるに因る。用水打銀は年々郡の御扶持人十村より、用水の普請すべき箇所を定め、經費を見積りたる帳册を作り、別に百石に付銀何十匁を徴收せんとの事を稟申し、政作奉行は算用場奉行を經て郡奉行に通じ、郡奉行は各十村に命じて上納せしめ、役銀所に保管せしむ。用水打銀を支出する必要ある時は、之を改作奉行に申請す。 米作の豐凶は、農民の生活を絶對に支配するものなるが故に、農民はその耕作に關して田植・虫送等の行事を愼重にするのみならず、二月五日を田の神の天より降下する日なりとし、又十月五日を田の神が守護の任務を終へて昇天する日なりとし、共に神酒・魚菜を供へて之を祭れり。而して田の神は盲目なりと信ぜらるゝが故に、供物の種類は一々亭主より讀明して捧ぐるを常とす。 産土神の祭禮に於いても、亦一般に五穀豐饒を祈念すること勿論なりといへども、鳳至郡鬼屋の春季祭の如きは、特に奇習なりとすべし。鬼屋の神社はもと神明殿と稱せられ、曹洞宗大本山總持寺の鎭守なり。今鬼屋神社と稱す。その春季祭は陰暦一月に於いて行はれ、ぞんべら祭の名を以て稱せらる。この日男子は麻〓〓、女子は普通の服裝にて社參し、神職の献膳祈念を終るや、參詣者直に拜殿の中央に進み、輪を作りて座を占む。その中間の板敷約二坪にして、之を假想の田地とす。是に於いて一人の若者進み出で、『今年は日和能く、野の道作りも早く濟み、今より用水を上げ、苗代を拵へ、田植の順序として、先づ馬耕に取懸る。』との挨拶を述べ、荒起の状を爲す。次いで撃柝の合圖を待ち、鉢卷したる若者二人、大太鼓を馬に擬して一鞭を加へ、鏡餠に柄を付したるを鍬に代へ、周圍なる參詣者の頭を畦畔と見立て、『えいぞんべら〱』の掛聲と共に、幾度となくかの鍬を振上げて土を盛るの状を爲し、次に『ねそ〱〱』と言ひ鍬を以て參詣者の頭を撫で廻り、次に『ほい〱』の懸聲勇しく左右に馬を馭し、次に畦塗の状を模す。青年男女はこの鍬に觸るゝを喜び、以て良伉儷を得ベしと信ず。これ等の事終るときは、妙齡の女子早乙女となり、松葉を採りて早苗となし、雪白の手拭を被り、眞紅の襷をかけて田植の状を試み、こゝに一切の式を了す。この祭儀は舊時頗る複雜なりしものゝ如く、その辭句と所作とは農の次第と題したる一編によりて傳へらる。 農之次第 一、ついと立つて、寶殿の體を押し拜んで見て候へば、獅子駒犬・大玄水器・御宮中鈴に至るまで、瑠璃を延べたるに異ならず。先づ初參の始に何々ぞ。一つ物作に二商ひ、三には獄飼ひ如意田畑なり。祝とて先づめでたう候。(是を寶殿に向ひて立ちて、はないねの米と扇を手に持ち添へていふなり。) 一、こゝろ年良し心平等、夜一夜明けて聞いて候へば、よき鳥の音をも聞いて候。一番に年よしとも囀り候。二番に作り田もよしと囀り候。三番に蠶飼よしとも囀り候。先づめでたう候。(但し、座りて烏帽子を二つ三つ叩きて是を言ふなり。) 一、隣の檢校大夫が犬も吠え呼ばはり候程に、江口の態をも見立てばやと存候。天晴江口の態候や。下には根白の柳はえ茂り、こゝを踏めばぢみぶつと浮き、彼處をふめばぢみぶつと浮き、ぢみ相當に浮上り、江川をば立てずとも、水はかいならしにて候。先づめでたう候。(但し、立ちて寶殿に向ひて是を言ふなり。) 一、七々六丈が經(タテ)と思うて績み紡いで候へば、十六丈が經もありつべう候。若人(ジャクニン)どもの草苅どもの草苅ごんなし、わらべどものへそたちごんなしまでも有りつべう候。先づめでたう候。(但し、春畑ほぐせに餠をさし紡錘(ツム)にして、座りてぶい〱ねそ〱というて、立ちて寶殿に向ひて三度繰りかへし、差したる餠と扇を持ち添へ是を言ふなり。) 一、一鍬打ちて嗅いで候へば、七年酒の古酒のかざ(香)がほが〱ほうとして候。先づめでたう候。(但し、田を打つほぐせに差したる餠を鍬として、座りてさらば野早にも御座候程に田を打つべきと申し、立ちて是を言ふ。はないねの米を撒くなり。) 一、年よし御意よし、髮白糯(モチ)の種、しりのせまちへさしさがり、良し早稻の種。(但し、座して苗代どころ拵へばやと存候と言うて、鍬打して言うて、座りて太鼓を打ち、水を澄ます時唄に、すめ〱じやうごうおきの田へ水をあてようと、三遍言ふなり。) 一、天晴畦の塗りやう候や。唐竹二つをみがいたに異ならず。斯う打ちたる水戸は風の難。かう打ちたる水戸は火の難。かう打ちたる水戸は富貴萬端、我が町へ寶物を入るゝ港にて候。先づめでたう候。(但し、田持へ一番に畔(クロ)を切り畦(アゼ)を塗る。褒め立てゝ是を言ふなり。) 一、前山に取りては米柳、ゆひ柳、白銀の小草、千萬町にぞんぶり〱。奧山に取りては黄金の接骨木、千萬町にぞんぶり〱。(扨大足を踏み鏝を使ふなり。但し田の草。立ちて寶殿に向ひて是を言ふなり。) 一、福童を呼び出し、奧陸奧の國へ馬牛の所望に下さうずるにて候。福童と申すものは、我が朝にては南閣浮提大日本國能州鳳氣至(フゲシ)郡櫛比庄寺中、尾高がはらにて年久しき福童にて候程に、奧陸奧の國へ下さうずるにて候。(唄の節にて)幅童よ〱、牛牽ゐて參れ幅童よ。去年は丑の年、今年は妙法蓮華の寅の年、年も良や日も良や、鮞(ハラヽゴ)の入まで奧陸奧の國へ下り候所に、權太郎兵衞の仰られやうは、福童遠路罷下り候程に、是へ〱と請ぜられ候程に(罷ン出座敷の態を見て候へば、天晴座敷の態候や、雲繝縁に錦縁・高麗縁の疊千疊ばかり詰め敷に敷かれ候。福童尚請ずる座敷へ袴の股立すはとおろし直り候へば、蝶形菊形栗ありの實を肴として、宙の木の本うちこぎを盃と定め、飮めや〱と仰られ候程に、左手に受け右手に受け、あら〱算用仕り候へば六七十杯給りて候。樺太郎兵衞達の仰られやうには、福童遠路罷下り候程に、二九十八牧をば福童引出物に取らするぞと仰られ候。御酒はよく給はるなり。居たる座敷を禮立ちにして、袴の股立ち高々と取り、上の山へ高々と走り上り、一の牧の扉をきり〱と明けて見て候へば、さも馬と見えて候が、眼は日輪月輪をみがいたに異ならず、前足をば飯の山へかつぱと踏み登せ、うしろ足をば酒の泉へ踏みおろし、大麻の糸をみだいたに異ならず。是は當社權現の神馬と心得、二つの牧の扉をぎり〱と明けて見て候へば、さも牛と見えて候が、しろゑの米をにつとり〱と噛み居候程に、側なるいひざさかいかなぐり、へんべいと呼んで見て候へば、こんめいと答へて候。又へんべいと呼うで候へば、まんめいと答へて候。あら米豆とてめでたき物はなき物とて、又側なるいひざさかいなぐり、へんべいと呼うで候へば、夏の日は照るに照る月に三度の潤と答へて候。又側なるいひざさかいなぐり、是は福童心外と心得、へんべいと呼うで候へば、權太郎兵衞の一人娘の聟ならばやと答へ候。(立ちて言ふ)福童斜に喜び、木鼻(キハナ)縻(ヅル)をむづと返し、牛の足だちを見ばやと存候。(太鼓の鼻取出る)天晴牛の足だちや。眼は日輪月輪の如くなり。かうさいたる角は風の難、かうさいたる角は火の難、尾は法華經の八の卷を押しおろいたに異ならず。中ざほにしとゝ乘て、一束に四斗八升、一束に四斗八升、〱。(但し、座敷に出で、太鼓を牛にして鼻取りを呼出し取らすなり。) 一、天晴苗の足立や、黄金のりんばん押しひらいたに異ならず。千丈苅の苗と思うて蒔いて候へば、あしうら萬々丈の苗も有りつべう候。若人共の掘じつた、童共の抉じつた田までも有りつべう候。先づめでたう候。(但し、奧陸奧の國より馬牛を牽き登り候程に、苗の足だちをも見ばやと存候と申し、立ちて寶殿に向ひて是を言ふなり。) 一、田植や早乙女、笠買うて着せうに。笠だに着せうなら、田をばしやぶりしやと植ゑよう。(但し、田植ゑるなり。子供を呼出して植ゑるなり。太鼓を打ちて三遍噺すなり。) 一、箸は何箸、葮箸。汁は何、あめ汁。菜は何、さんせひらき豆。(但し、汁ひまち献立を問ふなり。又立ちてみを入れるなり。) 一、ひんだ(飛騨)の山より山路をよせて、此木を直し御戸と定め、又その末をば一つにひらい戸、二つにふせき、三つにみせき、四つにより戸、五つにいはひ戸、六つに棟木、七つに長押(ナゲシ)、九つにこまひ戸、十に扉。又その末をば鍬柄(クワガラ)とも定めた。ひんだの山より、尉達を千人ばかり請じ寄せて、糸綿とらせ御帳と定めた。その又末をば襷と定めた。雀のちう〱、雉の忍び羽、鴨の曲り羽、乾の隅に納めて置いたり。(と三遍かへすなり。但し田囃子、いつより世よしと是も三遍、是を座中より囃すなり。) 正月六日之朝、於神明樣、農之次第書改之者也。末世末代失念有間敷候也。 〔農之次第〕