能美郡尾小屋にも亦金坑あり。その起原に關しては全く知るを得ずといへども、加賀藩の改作所舊記に載せたる天和二年十一月の書面に、『唯今尾小屋金山に罷在藥屋吉左衞門といふ者、不屆之義有之、向後かね山へ不出樣、かね山師共え急度可申渡。』とあれば、その甚だ古きを知るべし。後寶暦十四年の調書に、尾小屋村の岩底谷は、先年黄金を採掘したる地なるを以て、寶永年中之を再興したりしも、産額寡少にして遂に業を廢したりといへり。 能美郡遊泉寺に銅山あり。螢の光に、金平金山のことを述ベたる次に、この頃埴田村の十村半助、遊泉寺山にて銅山を掘りけるが、殷盛なりといふことなく、五七年にして止みぬといへり。金平金山の頃とあるは、安永・天明の間をいふものゝ如し。文政三年加賀藩復之を興し、次いで安政二年六月埴田の人田中三郎右衞門の經營する所となり、文久三年九月重ねて藩有とせり。