この工場は四室ありて、一番組・二番組に分かれ、これに從事するもの當時箔方棟取五人、職方指引人九人、職人七人、同見習人九人、同定加人三人、手傳人五十二人、同見習人十九人ありき。棟取は又五人衆と呼び延金を作り、指引人は職工中の古參にして指揮監督の任に當り、見習人は棟取・職人・手傳人の長子とし、定加人は次子以下のものなり。 職工の製造能率は、一人一ヶ月に多きは二立、少きは一立を打つ。一立とは一回に打立つる金の量にして、上澄二匁八分に當り、是より三寸箔千枚を得るを法とす。而して一立の工料を銀三十匁とし、千枚以外に出箔二百枚を打出すときはその價三十四匁、出屑の量一分にしてその價四匁三分、合計六十八匁三分の收入とし、安政六年に於ける米一石の價七十匁なりしが故に、假に一立を打ち得る低級職工としても約一石を購ひ得べく、大工三升・日稼二升を定率とせる當時に在りては、略大工と匹敵せり。若し二立を打ち得る優良職工に在りては、大工に二倍し日稼に三倍す。先に隱打の盛に行はれたることは、實に此の如く收入の高率なるが爲ならずんばあらざるなり。