製鹽は加賀藩の專賣事業にして、專ら能登の内浦・外浦に於いて行はれき。その濫觴に就きては、藩主前田利常の時、此の國の海潮鹹味強く、又山林多くして燃料豐富なるが故に、鹽田の設置を奬勵し、細民をして之に從事せしめ、貸すに食糧を以てし、返すに製鹽を以てせしめたるを始るといへり。爾後歴世の藩主相繼ぎて奬勵に力を致し、以て藩末に及びしが、之に關する主なる機關は左の如くなりき。 製鹽業を總括する爲には鹽奉行あり。改作奉行の之を兼務するを例とし、藩の御算用場に居る。郡奉行も亦その管轄區域内に於ける製鹽事務に參與す。鹽奉行は鹽の收納・販賣その他一切の事務を掌り、毎年製鹽各村を巡回して鹽裁許人以下を指揮監督し、鹽裁許人は七尾及び宇出津に常設せる鹽裁許所に勤務す。鹽裁許所とは收納と販賣とに關する實務を處理し、及び鹽業に關する訴訟を裁判する所なり。鹽奉行の下には又小代官及び吟味人あり。小代官は鹽裁許所及び製鹽地に出張し、吟味人は製鹽地を巡視して鹽の密賣を取締る。以上の吏員は皆藩の士分又は足輕なり。