又鹽取締役あり、製鹽業者と當局藩吏との間に介在して收納販賣事務を掌るものにして、御扶持人十村を以て之に任じ、鹽相見役は取締役を助け、特に貯藏倉庫の開閉に立會ふを職とし、村肝煎役を以て之に任ず。又桝取役あり、鹽の俵裝に際し升量を掌る者にして、特別の技量あるものを用ひ、その員數は産額の多寡により毎村一名乃至數名を置く。桝取役に選任せられたる時は、所轄鹽裁許所に至りて宣誓するを要し、その使用する桝は嚴重に取締られ、若し之を毀損したる時は、桝取役より取締役を經て鹽裁許所に屆出で現品を返納し、鹽裁許人は毀損の理由を調査したる後、代桝を作事所より交付せらる。 藩は鹽士を保護するが爲に、生産費及び食糧として前年中に玄米を貸與し、翌年の製鹽を以て之を返還せしむ。これを鹽手米と稱し、鹽士一般に交付するものにして、年々同樣に繰返さる。故に鹽士は翌年自己の生産すべき額を豫定して、鹽手米の交付を出願するものとし、鹽手米一石を借受けたるときは、翌年鹽九俵を上納するを要す。若し鹽士の生産額にして豫定よりも超過したる場合には、鹽の豐凶により八俵又は八俵半に就き玄米一石の割合を以て賠償せらる。追鹽手米といふもの是なり。是を以て製鹽の全部は藩の收納する所にして、鹽士は毫末も自由に賣買するを許されず。鹽士自家用の食鹽すら、各組毎に春秋兩度に貸與を乞ひ、その二月・三月に借受くるものゝ代錢は九月・十月に返納し、八月・九月に借用したるものは翌年三月・四月に上納せり。 藩は又鹽士を保護する爲、その出願により製鹽に要する形太釜又は淺釜を鑄造下附し、その代償は鹽を以て年賦賠償せしむ。鹽釜は初め中居鑄物師の製造する所なりしが、寶暦中より越中高岡に於いて廉價に提供し、從ひて中居の鹽釜製造は衰微せり。