製鹽の時期は、三月に始り十月に絡る。鹽一俵の量は五斗とし、一ヶ年の減量を三升と見積り、重量凡べて十三貫三百目と定む。製鹽の收納は、各村毎月三回日を定めて、小代官・相見役・桝取役等釜屋即ち製鹽場に出張し、人夫を督して俵裝せしめ、直に收納倉に納入せしむ。俵裝中には納付日付及び生産者の住所人名を記したる木札を入る。俵裝に要する藁俵及び繩は鹽士の自辨とし、その勞銀及び倉庫に至る運搬費も之を賠償せらるゝことなし。 鹽の收納倉庫を御鹽藏といひ、常に倉番人を置きて監視せしめ、收納及び拂出の時に非ざれば開扉することなし。而して開扉の場合に在りては小代官・相見役の立會を要し、閉づる時は小代官と相見役の相封を施し、鍵は取締役をして保管せしむ。その收納及び拂出の額に就いては、相見役の有する帳簿に之を記入す。倉庫は藩費を以て營繕するものなり。製鹽の最も多き年には、能登全體に於いて四十七萬俵を超え、その中珠洲郡第一を占め、鳳至郡は珠洲郡の三分の一、羽咋郡は十分の一、鹿島郡は三十分の一に當りたりといふ。 鹽の販賣を爲す者は鹽問屋にして、地方の富豪を選び藩より之を命ず。問屋にして死亡し又は辭退したる時は、取締役より鹽奉行に報告し、代員を豫選して任命を申請す。鹽奉行銓衡の後之を採用したる時は、新鹽問屋は鹽裁許所に出頭して宣誓することを要せり。又消費者に對して鹽を賣捌く爲には、各町村に鹽裁許人の免許したる小賣人あり。小賣人が已に收納したる鹽を買受けんとする時は、必ず最寄問屋に就きて代銀を納入し、鹽問屋は之に領收證を交付すると同時に、賣渡通知書を御鹽藏に送りて拂渡を爲さしむ。御鹽藏がこの通知を受けて拂渡を爲したる時は、數量・買受人等を帳簿に記したる後、更に鹽問屋に通報して之を確認せしむ。御鹽藏に於ける鹽一俵の價、藩末にありては銀八匁五分なりき。問屋は毎日その販費したる額を取調べ、書面により鹽取締役を經て屆出でたりき。