前掲能美郡の天秤職は、丹羽氏の領主たりし時に始る。小松大文字屋の由緒帳に、『元祖源兵衞、小松大文字町に居住仕、丹羽五郎左衞門殿より能美郡天秤職被命。金銀包賃並灰吹銀吹賃等被下之。太閤秀吉越中出陣の時御宿陣。利家公の御宿も相勤。利長公御代、先規の通能美郡天秤職被爲仰付。』とありて、行文の叙次よりすれば、この丹羽五郎左衞門は、太閤秀吉越中出陣の前なるが故に、五郎左衞門長秀なるが如しといへども、當時小松は長秀の與力村上頼勝の支配に屬したるが故に、長秀の命によりて天秤職を設くることあらざるべく、必ずや慶長二年長秀の子五郎左衞門長重がこの地に封ぜられたる後のことなるべし。而して同五年長重の封を除かれ、之を利長に併賜せらるゝに及び、前田氏の命によりて能美郡天秤職舊の如くなるべしとせられたるなり。