かくの如く加賀藩は錢貨に關して屢布達する所ありしといへども、こは單に幕府の意を禀けて之を下達したるに止り、事實に於いては封内に於いて吹立たる灰吹銀の切かねを以て小額の取引に當て、若しくは上代よりの慣習に隨ひて、米穀等を交換の媒介となしたるが故に、殆ど錢貨の通用を見ることなかりしといはる。然るに承應三年幕府は重ねて寛永新錢の通用を令したるを以て、同年八月加賀藩は灰吹銀の切かねを停止せしめ、九月十日更に錢一貫文を極印銀十八匁に當つべきことを令せり。蓋し寛永通寶の鑄造漸く多くして、民間の使用に便なるに至りたると、灰吹銀に贋造の憂ありたるとによる。この時藩臣中村久越は、錢貨による取引の從來に比して大に利便なるべきをいひしに、前田利常は『世間錢遣に成申故、此方の國中も其通に不申付候得ば、用事整不申候。然共買物自由に成候而、おのづから末々迄整へ安く候に付て、後々に至候而、輕き下々迄勝手爲には、見て置候へ、宜かる間敷候。』といへりとは、藤田安勝の微妙公夜話に記する所なり。蓋し利常の意、購買力の増加に伴ひて物價の騰貴を來きんことを憂へたるものゝ如し。 覺 一、少分之賣買之儀は、御分國一統、錢づかひに可仕事。 一、銀子の儀は、今迄の如く、極印銀・取込銀とも取やり可仕事。 一、錢近日上方より御取寄、問屋可被仰付事。 承應三年八月十六日富永勘解由左衞門在判 脇田九兵衞在判 町年寄十人 本町肝煎中 〔三州寳貨録〕 ○ 定 一、少分之賣買之儀者、御分國一統錢づかひに可仕事。 一、銀子之儀は、今迄の如く、極印銀・取込銀共に取遣可仕事。 一、錢一貫文に付、極印銀十八匁之直段にとりやり可仕事。 一、錢屋手前より賣出し候直段、極直段之外、一歩之利子あひを取、うり可申事。 一、御藏へ上候錢之儀も、可爲極直段事。 右之趣被仰出候條、堅可相守者也。 承應三年九月十日小幡宮内 奧村因幡 津田玄蕃 長九郎左衞門 金澤町中 〔御定書〕