加賀藩私鑄の錢貨は越中の増山鑛山に於いて造りたりといふ加越能三百通用・加越能五百通用及び加越能七百通用の文字ある青銅貨にして、その形状は天保通寶に倣ひ、三百のものは表面に加[三越通百能用]忠(花押)とありて裏面に松と虎とを描き、五百のものは竹と龍、七百のものは梅と馬とを鑄出せるものありて、現にその存するを見る。葢し加賀藩は領内に於ける錢貨の缺乏を理由とし、慶應元年十一月幕府に對して銅を以て當百錢を、鐵を以て四文錢並びに小錢を私鑄し、領内に限り通用せしめんことを出願したりしに、十二月幕府は當百錢以外の鑄造を許し、明年以降一ヶ年五十萬貫文を五年に亙りて吹立つべく、運上は十萬貫文に對し五千貫文の割合を以て代金により之を上納すべきを命じたることあり。現存の當百錢は必ずこの出願に先だちて試製せられしものなるべし。但し藩はその後意を飜したりと見え、四文錢並びに小錢を製したるの形跡なし。