この銀札發行に關しては、夙く寶暦三年より世評に上りたりしが、藩は遂に之を實施するに決し、五年二月八日を以て通用十五ヶ年の期限を付したる許可を得、四月十五日發行の豫告を發したりしなり。而してその文中に、銀札遣の議あるに至りたる理由を記して、家中諸士の勝手困窮せるを救濟せんが爲なりといへるものは、必ずや一面の眞相たりしなるべし。越路加賀見といへる書は稗史なりといへども、その銀札發行のことをいへる條に、第七世前田宗辰の時、諸士窮乏して銀子の借用を出願するもの頗る多かりしが、藩の財力能く之に應ずること能はざりしかば、老臣等紙幣を發行せんと建議せるものありしも、侯は國初以來未だその例なしとして遂に許さず。第八世重煕の時にも、諸士の家政益惡化したるを以て、再び之が發行を請ひたるに、侯の早世に遇ひて實施すること能はざりしが、重教の家を襲ぐに及び、初めてこの事あるに至れりといへるもの、亦併せ考ふべし。是を以て藩は銀札の發行と同時に、諸士に若干を貸與し、尚今後三年間に知行百石に對し銀札の貸與額合計三貫目に達せしむべきを約したりき。然りといへども諸士の救濟のみを以て、紙幣を發行したる唯一の理由なりとはずべからず。藩自身の財政を彌縫することは、更に急務中の急務たりしなり。