加賀藩が銀札の通用を命ずるや、その職員に銀札奉行を置き、御算用場奉行前田源五左衞門・馬廻頭稻垣三郎兵衞・町奉行青地彌四郎を以て之に當て、次いで町奉行津田宇右衞門・御先手物頭津田林左衞門を加へたりき。又銀座に準じて金澤に札座を置き、銀札方横目二人・札座頭五人・下役人帳面方三人・銀掛二人・算用方二人・銀包方二人・錢調方五人・入口方二人を置き、七月朔日その通用の初に當りて、直に正銀を停止して假札を發行し、次いで十月十八日に至りて本札を發行し、札座に於いて先の假札と交換せり。その種類は、百目・五十目・三十目・二十目・十匁・五匁・三匁・二匁・一匁の九種にして、表面に銀何程と書し、又『寶鈔無滯可通行、僞造之者可處嚴科、犯人於訴出者、雖爲同類宥之、賞銀五十枚、以可給犯人之家財也。』と記せり。後一匁以下の小札なくして不便を感じたりしを以て、寶暦六年六月七日更に五分札を加へたりき。 寶暦發行加賀藩銀鈔男爵前田直行氏藏 寶曆発行加賀藩銀鈔 然るに士庶銀札の使用に慣れざりしを以て、善惡の批評囂然として起り、贋札多く行はれ、正貨忽ち市場より姿を隱し、銀札一匁につき錢六十四文の相場を以てしては、到底錢貨を得ること能はざるに至れり。是を以て火消組の徒大に憤慨し、何等か不穩の擧動あらんとすとの風聞連りに傳へられしかば、町附足輕等は晝夜之に對する警戒を怠らざりき。かくて翌六年春物價益騰貴し、人心恟々たりしに、四月十二日夜衆民蝟集して忽ち暴動の形勢に變じ、戌刻より子刻に及ぶ間に、米商人森下町釣部屋仁兵衞・茶屋三郎兵衞・尾張町淺野屋知左衞門・新町茶屋三右衞門・下堤町角屋彌三右衞門・袋町木屋藤太郎を襲ひて、その住宅財寶を破壞せり。町奉行變を聞きて直に出動し、町同心及び町附足輕に令して犯人を捕縳せしめんとせしが、彼等は町奉行の乘馬を薙倒して之を殺戮せんと怒號競進し、町奉行は何等爲すこと能はずして町會所に逃避せり。藩乃ち翌十三日前記六人の被害者その他九人を獄に投じ、銀札奉行津田宇右衞門・青地彌四郎に閉門を命じ、前田源五左衞門を遠慮せしめ、十四日には金澤町奉行兩人の職を褫ひ、以て衆怨を散ぜんと試み、又贋札犯罪者たる藩士寺西彈正の家人山田與三右衞門、金澤御坊町の紺屋九郎兵衞、越中津幡江村十村跡源五及びその同類を悉く斬刑に處して、銀札の信用恢復を謀れり。而も到底經濟界の紊亂を整理し得べからざりしが故に、民間無錢行の詩を作りて之を諷するものすらありき。 無錢行 時維寶暦第六天。銀札充國更無錢。鳥目倦飛隱土窖。方兄晦蹈遁貧泉。十文御引(オヒキ)換想艸。一升喰溜作小箋。侍林困窮書上直。質屋迷惑無利還。奧樣内衣不嫌臭。檀那鼻褌奈耻玄。差引通利(ツリ)稀昨日。博奕參會多去年。町懲檢斷目浮涙。吏嗜苞苴口流涎。商與家孃啜雜水。士抱看坊鬻青田。諸人難儀彌三(角屋)企。贋鈔騷動源五(前田)愆。皆云如座熱火上。誰識忽溺借錢淵。日々混亂是何事。世間衰微在眼前。 〔三州寳貨録〕