銀仲預銀手形は、當初百目札のみなりしが、文政十年閏六月その一部を以て、十匁・五匁・三匁・一匁の小割札を發行し、次いで十一年七月には五十目札を發行せり。この時より番號の上にいろは等の符號を加ふ。次いで天保二年五月には二匁札を發行し、四年四月には百目以下七種手形の模樣及び印章を改め、八年七月には五分札を製せり。是に於いて銀仲預銀手形の種類は百目・五十目・十匁・五匁・三匁・二匁・一匁・五分の八種となる。然るに八年十月升屋次右衞門及び酒屋宗左衞門が、故ありて罪を得しを以て、九年三月木屋孫太郎・千代屋久平を預手形裁許として手形を改め、次いで弘化三年五月更に鳳凰麒麟の細密なる印を押捺せる新札を發行せり。かくて銀仲預銀手形は、御算用場及び町會所の監督によりて、その汚損せるものは常に新札と交換せられ、之と同時に紙質益精良を加へしかば、贋造の憂殆ど跡を絶ち、その發行者が銀仲なりしに拘はらず、藩の發行せるものなるが如き信用を博し得たり。