文化八年十月朔日本納の米相場、金澤に於いて銀五十四匁五分に上りしに、同月五日夜城下の暴民等十間町の中買座を襲撃し、水を注ぎ石を投じ、その百餘人は進みて屋内に亂入せり。中買等乃ち情を町奉行に訴へしに、暴徒は轉じて油屋半四郎等の家を毀ち、曉七つ時に及びて解散せり。後晦日に至り、半四郎は世評良好ならずとの理由を以て指扣を命ぜられ、中買肝煎手傳たりし能登屋重右衞門もその職を奪はれたる後同じく指扣となり、田中屋傳右衞門・高橋屋次兵衞・尾張屋清五郎・能登屋吉兵衞の四人は、暴民騷擾の際之に對する處置當を得ざりしを以て、仲買業を停止せられ且つ追込の處分を受けたり。この暴動の中心を爲したるは金澤にある越中の米相場師にして、藩内八ヶ所に於ける建米が油屋半四郎の買占によりて騰貴したるを憤れるなりといふ。 今月五日夜、中買座[十間町中央に有之、町會所より建所也。]え數十人押懸、中買油屋半四郎等米縮置候に付、格外に八ヶ所米迄直上り候。惣樣直上りの事に候得ば無是非候へ共、右米迄直上りは不心得、旅人(外來相場師)の咽を乾し候と申者沙汰之限り、半四郎を可渡、打殺候半と段々及雜言。其内二三百人計に相成、同所之水溜桶共を舁來、水ながら家之内え投込、並溝際等に臥せ有之石共を起し投込等之及狼籍、後には百人計、家之内にも押入候に付、從裏口町奉行等えも夫々及注進、町附足輕並盜賊改方足輕も追々出候得共、大勢之狼籍に而如何共制止方も無之、其上張本人[後に承候得ば、越中の米買旅人三四人計と云々、其外は臨時之加り人並往來人之手傳等と云々。]は不相知、只聲を以て召捕べく杯と威言申居候由。右族に付、半四郎等其身に少に而茂覺有之候中買共並臆病なる者共は、いつの間にやらに過半裏通りより逃歸り、甚集所人少(中買座)に相成、就中同所に銀子六百貫目計り有之、不用心に付手渡に致し、隣家橘屋[菓子屋也]吉右衞門家え裏口より逃候處、吉右衞門不心服に候得共、非常之趣中買肝煎等申入、理不盡に積置指置候由。其内段々集所に有之中買等過半逃行、人少に相成、狼籍人も勢薄く相成、中買肝煎等曁廻方足輕よりも退散候樣にと申宥候得ば、油屋半四郎方へ罷越、家等は不殘打毀し候上、尤可令殺害与高聲に訇り、曉七時過不殘退散及靜謐候事。 〔政隣記〕