物價の激動に伴ひて起れる小民の騷擾は、前記安政五年のものを以て最終とす。蓋し藩の末期に於いて、動もすれば米價の暴騰を免れざりしは、商人の機に投ずること漸く敏にして、買占・賣惜を以て利を射んとするもの多かりしに基づく。當時仲買業を營みたる松任屋勘兵衞の説に、往時藩内に正銀のみを通用せし頃は米穀の買占を行ふもの少かりき。これ貨幣の質量大にして、その運搬が他の注目を避くること能はざりしによる。然るに預銀手形の通用するに及びて、數十貫目の巨額も能く之を懷中に藏することを得べく、買占に從事すること頗る容易となれるが爲なりと。この言亦一理なきにあらざるべし。 給人より藏宿宛差紙・藏宿より給人宛預り状金澤市米里喜平氏藏 給人の差紙と藏宿の預り狀