金澤の米場に於ける米穀の賣買は、收納米の取扱を主とし、凡べて米切手によりて之が受渡を行ふを例とす。米切手には藩の御藏米切手といふあり。一に御印物とも稱せられ、一枚に記載せらるゝ數量百石又は百五十石とし、御算用場より發行せられ、無記名式とす。又給人の拂米切手あり。給人より藏宿に宛てゝ發行するものにして、『覺、一、何石何斗者新京升、右拙者當收納米、其方え預米之内、米中買某へ賣渡候條、米無相違可相渡候。』と記され、取次仲買の證明書を添付せらる。拂米切手の額面は、百石・五十石又は五十石未滿の三種なるが、五十石未滿なるは小祿給人の發行する所にして、之を小物と稱し、その數最も多かりき。而して御藏米切手は時宜を見て發行せられ、年額十萬石乃至二十萬石に及び、給人の拂米は七月朔日の半納期に於いてせらるゝを普通とし、總額約四十萬石に達す。蓋し給人は、七月朔日を半納と稱し、この日以後その收納米の半額を賣却するを許され、十月朔日を本納といひて、その後全額を賣拂ふを得るの制なりしも、事實は彼等が家政上の窮乏により、半納期に至るときは直に收納米の殆ど全部を賣出すの慣習を存したるが故なり。之に加ふるに藩は御召米と稱して、半納初日より三日間に亙り、時價よりも若干の増歩をなして、小祿給人の拂米切手七八萬石乃至十萬石を米仲買より買上ぐるを例としたるが故に、この際に於ける米穀の賣買は最も盛況を呈したりき。而して御召米も後日好機を圖りて賣出さるゝが故に、米場に於いて賣買せらるるものは御藏米切手・拂米切手及び御召米切手の三種なりとす。その外米場に於いて取扱はれざるものに、印紙米といひて、市民の飯米を供給せんが爲、藏宿に於いて拂米切手を切り代へ、小額の預劵を發行して米小賣商に賣出したるものありしも、その額は固より多からず。 米市場用米賣買切手(河村茂三郎は給人・紅屋平兵衞は藏宿・森下屋清右衞門は仲買)金澤市米里喜平氏藏 米市場用米賣買切手