前に言へるが如く、給人が半納期に於いて夙く本納に對する拂米の切手を賣出すことすら、既に大なる弊竇なりしに加へて、收納額以上の過米切手を振出すものあるに至りては、全く之を詐儒行爲なりといふべく、爲に米切手融通の上に障害を來すこと尠からず。是を以て明和七年金澤町奉行は、切手米渡方差支切手を受けたるもの若し起訴するときは、啻に取次仲買をしてその損害を賠償せしむるのみならず、更に之を處罰すべしとの令を發し、取次仲買をして拂米切手に、『某樣何米何十石、私取次仕候處相違無御座候。若し相滯儀候はゞ、此方より埒明可申候。』との文言を奧書せしめたり。 米場に於いて米切手を賣買取引するには、現銀商(アキナヒ)・切物商及び延銀商と稱する三種の方法あり。 現銀商は現物を直取引する方法にして、米仲買間に賣買契約の成立したる時、直に賣主よりその銘柄・數量及び價格を記入したる手付證文を買主に交付し、代銀を領收し、之を拂米主たる給人に支拂ひて米切手を申受け、手付證文と引替に之を買主に交付するなり。 切物商は現銀商より變化したる一方法なり。蓋し給人が知行米を收納する期日は、正徳以前より半納・本納の二回に分かれたるが、その半納期たる七月朔日に在りては尚未だ新穀を收穫するに至らず。是を以て給人はこの時を待ちて米切手を發行し、仲買の取次によりて之を賣却すといへども、實米の受渡は秋收の後に至らざれば行ふこと能はず。故を以て米場に於いても、亦半納期以後新穀の切手賣買を開始するに拘らず、眞の現銀商を行ふこと能はざるを以て、勢ひ短期の延取引を行ふの必要を生じ、賣買手付證文に十日切又は二十日切などゝ實米引渡の期限を記入するに至りたるもの、これ即ち切物商の起れる所以なり。然るにこの慣習は漸くその利用範園を擴張し、終には半納期以外の季節に於いても、亦切物商を行ふことゝなれり。而もその初期に在りては、米切手の延取引を爲すに過ぎざりしが、元文中より藩の老臣長氏の越中氷見に有する藏米を建米とすることゝなり、次いで本多氏の藏米に及び、寛政五年米仲買の出願によりて六ヶ所建米の切物商を免許せらるゝに至り、こゝに初めて切物商の盛況を見たり。六ヶ所建米と稱するは、藩の老臣の收納米にして藏宿が特殊の取扱を爲すもの、即ち本多・長・横山・村井・兩前田・兩奧村の收納米の中、越中高岡・氷見・放生津・岩瀬・滑川・魚津の六ヶ所に在るものをいひ、これが切物商はいづれの藏米を受渡に使用するも賣主の隨意なりとせるなり。後寛政十一年更に越中の泊・横山二ヶ所の藏米を加へて八ヶ所建米とし、賣買の單位を百石と定め、當月限及び二ヶ月限りの取引を開始するに至り、愈米穀商界に活氣を呈したり。