延銀商は一に延べとも稱し、中頃米場に於ける金融の逼迫したる際、現銀商の實行を苦痛とし、遂にこの種の取引を生するに至りたるなりといはる。寛政中一たび延銀商を禁止せられしが、法を犯すもの絶えざりしかば、享和元年米仲買一同の出願によりて公許せられ、次いで天保九・十年の交また停止の命を受け、幾くもなく三たび行はるゝに至れり。その法、買主は一定の手付銀を賣主に交付し置き、契約の日限に至りて切手米の受渡を爲すと爲さゞると一に買主の任意たるべきものとす。故に如何に相場の下落することあるも、買主の損失は手付銀の額を越ゆることなし。延銀商も亦切物商の如く賣買の單位を百石とすれども、獨り八ヶ所米のみならずその他の藏米をも賣買し、且つ翌月五日を以て受渡の期限とするが故に、切物商の如く二ヶ月に亙るものなし。享和元年一たび二ヶ月限の延銀商を開始したることあるも、幾くもなく停止を命ぜられたり。 上記取引の方法以外、米取引に關する諸種の慣習に就いては、當時素より成文の規則なかりしといへども、その實際に徴するに概ね左記の如くなりといはる。 一、集所へ休日を除く外毎日晝九つ半時より出座いたし、商ひ相始め、夕七つ時限相仕舞可申事。 一、賣買米證文買人より即刻口錢取立方役所へ可差出事。 一、賣買米證文不差出陰商いたし候者は米仲買株取揚の事。 一、賣買米口錢翌月十八日切に口錢取立方役所へ可指出事。 一、商人等え米商ひ取次遣候節、敷銀不取受分不差引に相成、訴出候とも一切採用不成事。 一、米切手商人方より賣拂度旨申越候とも、取次買入不遣分は賣揚方不相成候。併し最前取次買入遣候中買手前一往及引合、指支無之旨承諾の上は不指支候事。 一、米仲買所持之家は引當に不相成事。但、家無之者は中買相勤候儀不相成候事。 一、八ヶ所等切物商、翌月五日朝五つ時より一同集所へ出座いたすべき事。但、出座帳へ人々記名可致事。 一、五日朝六半時より五時限繰紙可相渡。右刻限相後れ候へば一切不相渡事。但、繰紙取受人は朝五つ時より米代銀等右繰紙に記し先々へ相廻し可申、右不用の繰紙は午時迄に相返すべき事。 一、五日商は朝五時より相始、夕七時限相仕舞可申候。尤其節延商ひ手附銀捨(スタ)り可申事。 一、米代銀五日の日の中限り集所へ持運び可申。夜に入候へば一切出入を禁候事。 一、無斷集所より外出不相成事。 一、商多にて自然取引方夜に入候時は、繰紙の表實況を見屆檢印を押し渡すべき事。 一、取引全く相濟集所より退散の節、米代銀等持參の銀高屆出し通り札受可申事。 一、取引指支不差引の者は先づ居町組合の者へ引渡、其上にも差引の譯不相立者は手鎖縮を以て改めて居町組合の者へ差預け、尚又差引不濟時は入牢の上家財並米仲買株とも引上げ、相手方へ相渡爲遂差引、不足銀に相成候へば見消いたすべく、尤其者米仲買再勤不相成候事。 〔金澤町米商成立濫觴〕